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盛岡地方裁判所一関支部 昭和35年(わ)64号 判決

被告人 伊藤潔

明三七・一二・一生 無職

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実の要旨は

被告人は昭和三十五年四月二十六日午後九時頃、当時居住していた水沢市南町四十六番地の自宅居間において就寝中、二階に居住している沢田謙三が泥酔のうえ同居間に侵入したので、妻八重子及び右謙三の母ヨ子と共に同人を取り押えたが、その際被告人が右腕をもつて右謙三の頸部を圧迫し、因つて同日午後九時三十分頃同所において同人を窒息死に致したものである。

というにある。

そこで被告人の当公判廷における供述、被告人の司法巡査及び司法警察員並びに検察官(昭和三十五年五月十三日付)に対する各供述調書、伊藤八重子の司法警察員及び検察官に対する各供述調書、沢田ヨ子の司法巡査及び検察官に対する各供述調書、医師桂秀策作成の鑑定書、司法警察員作成の検証調書並びに押収した火挾み一個(昭和三六年領第三号の一)及び腰紐一本(同号の二)を綜合すると、次のような事実を認定することができる。

被告人は昭和三十四年九月頃から水沢市南町四十六番地所在二階建長屋の階下に妻八重子と居住していたが、その階上には土工の沢田謙三(当時二十八歳)がその母ヨ子と住んでいた。右謙三は酒癖が悪く、泥酔して理由もないのに近隣の家に暴れこむことも屡々で、昭和三十五年三月には被告人方に短刀を携えて入りこみ、理由もなく被告人にこれを突きつけて脅迫したことがあつた。同年四月二十六日午後八時三十分頃被告人は妻と共に就寝したが、午後九時頃泥酔して帰宅した謙三が二階の居室で茶碗を投げつけたりして暴れている物音に目を覚したところ、間もなく同人がその居室に通ずる階段と被告人方の台所とを仕切つている羽目板を壊す音がしたので、妻と共に慌てて起き上り、玄関から外へ逃れようとした。しかし時既に遅く、謙三は何等理由もないのに厚さ約一・二センチメートルの右羽目板を破壊したうえ、そこから被告人方居室に侵入し、鉄製の火挾み(昭和三六年領第三号の一)を構え、「野郎」などと怒鳴りながら被告人に追いついてきたため、被告人はやむなく部屋の出入口附近で同人と向い合うに至つた。そして被告人は謙三に対しおとなしく帰るように云いきかせたが、同人がこれをきき入れず前示火挾みを突きつけて立ち向つてきたので、被告人としては、同人が前回同様短刀を持つて来たものと考え、自己及び妻八重子の生命、身体を防衛するため同人を取り押えるべく、突嗟に同人の手首を掴み、足払いをかけて転倒させ、自らも横になつて同人の背後から両腕を同人の両腋下に入れてその両腕をかかえこみ、いわゆる羽交い締めの体勢をとつた。ところが謙三はなおも身体をそらせ、手足を激しく動かして被告人を突いたり蹴つたりしようとして乱暴を働くので、被告人は妻八重子に命じて謙三の両脚を腰紐(同号の二)で縛らせたうえ、同女をしてその左腕を、又心配して駈けつけた謙三の母ヨ子をしてその右腕をそれぞれ押えさせ、隣家の石川竜子を呼んで警察官に通報方を依頼した。その後被告人は抱きかかえていた腕の力を少しゆるめたところ、いきなり謙三から両手の第二指、第三指を逆にとられてひどく痛めつけられたので、年令、体格共に劣る被告人としては、この程度の押え方では到底同人を警察官の到着するまで制止しておくことはできないと考え、両脚で同人の胴を締め、且つ右腕を同人の背後からその頸部にまわし、左手で自己の右腕をひいて同人の頸部を絞める体勢をとつた。そして妻八重子の注意もあつてあまり強く絞めすぎないように気を配つてはいたものの、腕の力をゆるめると謙三が暴れ出すので、警察官が到着した同日午後九時三十分頃までの十数分間、腕の力をゆるめたり入れたり数回くりかえしているうち、しらずしらず誤つてこれを強く絞め過ぎたため、同人を頸部圧迫による窒息のため死亡させるに至つた。

しかし被告人は勿論のこと、妻八重子、謙三の母ヨ子も謙三の死亡に全く気付かず、警察官が到着して被告人等の手を離させた結果、初めてこれがわかつたのであつた。

以上のように認めることができる。よつて案ずるに、本件は被告人が夜間羽目板を破壊して暴れ込んで来た沢田謙三から、自己及び妻八重子の生命、身体を防衛するため、同女及び謙三の母ヨ子と共々同人を取り押えているうちに惹起されたものであつて、前示のような謙三の乱暴ぶりとその平素の行動からすれば、被告人が同人を取り押えるために足払いをかけてこれを転倒させたうえ羽交い締めにし、なおも押えきれずに右腕を同人の頸部にまわし、死に致さない程度に絞めた行為までは、正に防衛のための相当な行為であると認め得る。そしてその後被告人が謙三を死に致す程度まで強くその頸部を扼し、その結果同人を死亡させたことは前認定のとおりである。そこで右の行為に関する被告人の認識についてみるに、前掲各証拠からすれば、被告人は防衛に相当な行為、即ち謙三を死に致さない程度にその頸部を扼する行為をするつもりでいたものであつて、そのためによもや謙三の死を来すようなことはないだろうと考えていたことが認められ、死に致す程度まで強く絞めることについての認識を有していたと認むべき証拠はない。従つて被告人には右の行為につき暴行又は傷害の犯意が存しなかつたものといわざるを得ず、結局被告人に対し傷害致死の刑責を負わせることはできないのである。検察官は被告人の所為をもつて、過剰防衛行為とみるべきものと主張する。結果犯たる傷害致死罪についても、過剰防衛を認め得ることはいうまでもないが、ただ結果犯においては行為者に結果の認識がないことは勿論であるから、行為の過剰性は結果自体からのみではなく、結果を齎らした行為についても論じなければならない。而して結果に対する故意責任を問うためには、それを齎らした過剰と目される行為について行為者の認識、即ち犯意を必要とする。本件において被告人が謙三の頸部を扼したことを直ちに過剰即ち違法といえないことは前示のとおりであり、本件で過剰と目すべき行為は被告人が謙三の頸部を扼しているうち、たまたま死に致す程度にまで強く絞めたことにある。従つて前示のように被告人がこの点についての認識を欠いていたと認むべき以上、検察官の所論は失当である。被告人は防衛のため相当な行為をするつもりで誤つてその程度を超えたものであつて、いわゆる防衛行為の誤認に外ならず、急迫不正の侵害事実についての誤認と同様に、講学上は誤想防衛の一場合として論ぜられるところのものである。従つて被告人に防衛の程度を超えて死の結果を斎らしたことについての過失責任を問うことは格別、これをもつて結果に対する故意責任を問うことはできない。もつとも証人沢田ヨ子の当公判廷における供述によれば、被告人に防衛の程度を超えた暴行についての犯意を認め得るかの如くである。しかしながら右証言は、同証人の前掲各供述調書記載と著しく矛盾するのみならず、被告人及び伊藤八重子の前掲各供述調書等を照合すると不合理な点がかなり見受けられること、事故発生後一年近い日時が経過しているので、その記憶には鮮明度が薄れていると思われること、被害者の母親として亡き子に対する愛惜の一念から、日がたつにつれ被告人にわだかまりの感情を持つに至ることも無理からぬことと考えられること等の事情を考え合わせるならば、右証言をそのまま措信することはできない。

よつて本件公訴事実は、検察官主張の訴因としては犯罪の証明がないものというべく、刑事訴訟法第三百三十六条により被告人に対し無罪の言渡をすることとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 西山光盛 阿部市郎右 松本一郎)

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